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zoom RSS 伝えるだけがコミュニケーションなのではない

<<   作成日時 : 2010/10/13 19:45   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 1 / コメント 6

よく「最近の若者はコミュニケーション能力が不足している」とか、
自分の気持ちを伝えようとしない人が増えてきている」という話を聞きます。
 
はたして、これは事実なのでしょうか?
 
そうとは限らない
というのが私の考えです。
 

いったい誰がそう言っているのか。

まず「最近の若者」を観測する立場に誰がいるのかを考えてください。
誰ですか?
同じ若者でしょうか?
幼い子供でしょうか?
老人でしょうか?
 
誰であるとしても、その人は客観的に若者を観測しているといえますか?
 
主観で判断している人のほうが多いように思われるでしょう。
(この判断も主観によるものですが)
 

「一方的」はそもそもコミュニケーションではない。

コミュニケーションというのは「相互的」なものです。
情報の「送信」だけではなく、それを「受信」する側も含めて考える必要があります。
 
だから、
自分の気持ちを伝えようとしない人」がいるなら、
同時に
相手の気持ちを読み取ろうとしない人」も考慮しなければなりません。
 
ここで「あ、そうか!!」と思った人もいるでしょう。
 
「自分の気持ちを伝えようとしない人」だけを見て判断している人というのは、
実際には「相手の気持ちを読み取ろうとしない人」と同じ立場なのです。

 

観測者によっていくらでも変わる。

コミュニケーションの送信、つまり「自分の意思を伝える立場」の人に対して、
「Aさんはコミュニケーション能力が不足している」などと評価する前に、
評価しようとしている人自身(観測者)が、Aさんの「表現力」をきちんと把握しているかどうかを
まず考えるべきでしょう。
 
なぜなら、その観測者が「Aさんにはコミュニケーション能力がない」と判断しても、
Aさんと親しい立場にいるBさんの判断はそうではないかもしれないからです。
Bさんからすれば、観測者のほうがよっぽど的外れで、空気が読めていなくて、
コミュニケーション能力の欠如している人のように見える
でしょう。
 
こんな重大な点を無視して、「最近の若者ときたらまったく…」などと言っている人は、
ぜひとも自分の姿を鏡に映して見るべきでしょう。
 
 
 
 
 
私もいろいろな人と接していますが、コミュニケーション能力の「ない」人などいません。
「ない」とみなされていたり、「ない」ことを自覚しているという人も数多くいますが、
本当に「ない」わけではなく、方法が他人とは少し違うだけで、しっかりと自分を持っていて、
むしろ積極的に伝えようとするし、私の話もきちんと受け止めることができています。
 
 
広汎性発達障害(自閉症)の人について「コミュニケーション能力がない」と
言われることがときどきありますが、決して「ない」わけではない、と付け加えておきます。
その伝達手段がきわめて特殊で、健常者には理解の難しいものがあるため、
社会通念上「コミュニケーション能力がない」とか「コミュニケーションを取ろうとしない」
認識されているのです。
 
むしろ「読み取る側の問題であると考えるほうが妥当である」、と、
当事者の一人である私は考えています。
 
暗号の「鍵」を持っている人は暗号文を解読することができますが、
鍵を持っていない人にはできないということです。


 
一人一人を見ることがとても大切で、「最近の若者」などとまとめてはいけないのです。
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マビノギハァンタジーライフ
2010/10/14 15:51

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
この前は返事ありがとうございます。

今回の記事ですが、自分もほぼ同じ考えですね。少し話がそれるかもですが
「普通」「普通じゃない」というのも同じことのような気がします。

何をもってして「普通じゃない」のか。「普通」というものが本当にあったとしてそれはそんなに「正しい」ことなのか
誰、何を基準にしたときの「普通」なのか
それに該当しないものは「悪」として扱われるのはなぜなのか

言っている人に聞いたら「そんなことは普通は感覚で分かるんだ。馬鹿にしてるのか」と言われてしまいました(´・ω・`)
その「普通」についてまさに聞きたかったのに・・。
(・公・)
2010/10/14 01:20
(・公・)
「普通」「普通じゃない」に対する考え方にも
「普通」「普通じゃない」という違いが出てきますね。

「私の立場」から見ると、
「普通」というのは「正しい」ではなく「退屈」であり、
「普通じゃない」というのは「悪」ではなく、むしろ、
そのほうが「普通」というか「自然」です。

これが「普通の立場」から見ると「逆」であるゆえに
「悪」として扱われるのだとすれば、それなりに納得できます。
(解釈まで「逆」にしてしまうのが「普通の立場」の特徴かも)


でも「普通」ばかりを絶賛して集めると、
万が一「普通じゃない」事態に直面したときに
どう対処していいかわからなくなってしまいます。

そのとき、「感覚でわかるだろう」と言っていた人は、
自分の陥っている状況について「感覚で説明できる」でしょうか?



普通の人から「普通」についての答えを聞き出す前に、
いや、私たちが答えを調べているまさにそのときに、
それはもはや「普通じゃない」ものに変わるのです。

こういう奇妙なことが起こるので、理解に到達しない…
aspirin
2010/10/14 03:05
( ・ ω ・)自分のことを普通と思っている人が実は異常なのでふ。
INGRAM
2010/10/14 07:26
c
「普通」がまかり通るようになると困ったことが起こります。

「普通のゲーム」ではどんなジャンルかすらわかりません。
疑問の余地が数多く残ることになります。
aspirin
2010/10/14 10:41
実は自分も「普通」という言葉は使うことはありますが。記事に出てきてる人のような使い方をしたことはありません。
世の中にはたくさんの人がいて、育った環境や生まれ持った性質が人それぞれ違うわけだから「普通」というものは人それぞれ違うはずですよね。

だから、自分にとっての「普通」を人に押し付けるのであれば それはもうあすさんの言うように、「普通じゃないもの」だと思います。それを強要されるのなら、なぜそれがそれが「普通」なのか説明してもらう というのが自分にとっては「普通・自然」な行動だと思うのです・・・。

この前の「比率」の話に少し戻ってしまいますが、事柄、思想、人格etc
どれもが 支持する人の多さによって「普通」というものが決まってしまうのかも知れませんね。
そんな状況って良く考えると「普通じゃない」ですよね・・・

イングラムさん>自分もそう思います。異常というか、「普通じゃない」ですよねw
(・公・)
2010/10/14 10:41
(・公・)
( ・ ω ・)ふむふむ。
支持する人数、「割合」が争点となるのなら、
「普通」とみなさず、初めからそう表明してほしいですよね。

「比率」でいろいろ悩むのも当然だと思います。
100匹のネコの集団にネズミが1匹まぎれ込めば、
どう考えたってネズミのほうが負けるに決まっています。

それに、この場合、「勝ち負け」が問題なのでしょうか?
私なら「仲よく暮らせること」を真っ先に考えます。
ネコとネズミを戦わせるのが目的ではないのですから。
aspirin
2010/10/14 10:58

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