「好きな人同士」が集まっても上手くいかなくなる

マビノギを続けている人は、マビノギが好きだからそうしているのでしょう。
税金のような「義務」はないので、課金するのも本人の意思であるはずだし、
ログイン時間、種族、スキル、ギルド、交友なども誰かに強いられてそうするのではないし、
客観的にどうこういう問題でもないので、本人が決めることです。
 
マビノギが好きといっても、具体的に何が好きなのでしょうか。
 
好き嫌いの判定は、その対象(質)だけではなく、程度(量)も関係しています。
それからもう一つ、他者の評価というのが重要です。
 
 
少しマビから離れて現実を考えてみましょう。
戦争が好きな人」がいます。
戦争が好きな人にとって戦争は正義で、嫌う人は悪とみなされることがあります。
 
「けんかを売るのが好きな人」と「けんかを買うのが好きな人」がいます。
一見すると両者は対立し、真逆のような関係であるかと思われるかもしれませんが、
売買が成立していると考えれば、「似た者同士」ともいえます。
 
ではこれを第三者の立場から見たらどうなりますか?
 
自国が戦争を起こそうとしたとき、一緒に戦うのか、戦わないのか。
自国に戦争を仕掛けられたとき、応戦するのか、何もしないのか。
戦争を支持して戦うのか、支持せず中立を保つのか。
 
「自分を守るため」といって戦いに出て行っても、勝てる保証がない限り
死ぬかもしれないし、相手と同程度のダメージを受ける可能性もあります。
 
けんかを売る側も、買う側も、両方とも倒れる可能性があるのです。
 
では、生き残る可能性がもっとも高いのは、第三者なのでしょうか?
 
いいえ。むしろ真っ先に倒される可能性が高いです。
非戦の意思を表明した段階で、その人は格好の標的になるでしょう。
「こいつ丸腰だぜwwwwwwこんなやつ一撃で葬ってやるwww」
 
このようなことにならないために、日本にも「自衛隊」という機構がありますよね。
 
 
 
結局のところ、各自で判断を下さなければならないので、
いつまでも「正しいかな…間違っているかな…」と悩んでいる時間はないのです。
 
そこで自分以外に、自分と同じ意思や趣向を持った人がいると、
集まり合うことによって強められ、判断に説得力が出てきます。
 
でも、どれほど多くの人が集まっても、100%確実な判断はできません。
むしろ多数の意見は「絶対に正しい!」と思い込みやすいため、
誤りがあった場合に修正が困難になるという欠点さえあります。

 
もっと重要な点として、
正しいものは一つとは限らない
ということがあります。
 
今日、正しいと信じられていた事柄が、明日は誤っていることになるかもしれないのです。
どちらが正しいのかと聞かれても、答えられないのではないでしょうか。
 
 
せっかく気の合う仲間が集まったのに、次の日には散ってしまっていた……。
 
 
ここで必要なのが「柔軟性」と「冗長性」です。
 
自分とは異なる意見も受け入れる「柔軟性」と、
誤りがあっても大きな支障とならない「冗長性」を確保することです。
 
マビを好きでいるだけでは足りないので、ほかの分野にも手を伸ばす必要がありますね。

この記事へのコメント

(・公・)
2010年10月03日 12:03
黄色の線が引いてある部分に凄く共感しました。
多数派が正義 という風潮のせいで大分嫌な思いをしてきてます。比率が変わったら社会から弾かれるのも病院に通うのも向こうかもしれなかったのにと思うと悔しくてたまりません。
自分が正しいとは言い切りませんが、他の人が全く正しいとも思えません。まさに「正しいことはひとつじゃない」からだと思います。でも多数派にとっては関係ないことのようです。

でもまあ、合わせていくしかありませんね・・。
他の人からみたら「間違ってる側」ですから・・。

マジレスサーセンorz
2010年10月03日 12:24
(・公・)
( -Д-) ゚Д゚)フムフム…

「今」「正しい」というのがすべてのようです。
だからこれを逆手にとって、「明日」「覆す」と考えれば
「今」「正しい」側の統制は一気に崩れます。

正誤も善悪も、しかるべき時が来るまでは共に成長させ、
その日が来たら、一網打尽にすればいいのではないでしょうか。

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