伝えるだけがコミュニケーションなのではない

よく「最近の若者はコミュニケーション能力が不足している」とか、
自分の気持ちを伝えようとしない人が増えてきている」という話を聞きます。
 
はたして、これは事実なのでしょうか?
 
そうとは限らない
というのが私の考えです。
 

いったい誰がそう言っているのか。

まず「最近の若者」を観測する立場に誰がいるのかを考えてください。
誰ですか?
同じ若者でしょうか?
幼い子供でしょうか?
老人でしょうか?
 
誰であるとしても、その人は客観的に若者を観測しているといえますか?
 
主観で判断している人のほうが多いように思われるでしょう。
(この判断も主観によるものですが)
 

「一方的」はそもそもコミュニケーションではない。

コミュニケーションというのは「相互的」なものです。
情報の「送信」だけではなく、それを「受信」する側も含めて考える必要があります。
 
だから、
自分の気持ちを伝えようとしない人」がいるなら、
同時に
相手の気持ちを読み取ろうとしない人」も考慮しなければなりません。
 
ここで「あ、そうか!!」と思った人もいるでしょう。
 
「自分の気持ちを伝えようとしない人」だけを見て判断している人というのは、
実際には「相手の気持ちを読み取ろうとしない人」と同じ立場なのです。

 

観測者によっていくらでも変わる。

コミュニケーションの送信、つまり「自分の意思を伝える立場」の人に対して、
「Aさんはコミュニケーション能力が不足している」などと評価する前に、
評価しようとしている人自身(観測者)が、Aさんの「表現力」をきちんと把握しているかどうかを
まず考えるべきでしょう。
 
なぜなら、その観測者が「Aさんにはコミュニケーション能力がない」と判断しても、
Aさんと親しい立場にいるBさんの判断はそうではないかもしれないからです。
Bさんからすれば、観測者のほうがよっぽど的外れで、空気が読めていなくて、
コミュニケーション能力の欠如している人のように見える
でしょう。
 
こんな重大な点を無視して、「最近の若者ときたらまったく…」などと言っている人は、
ぜひとも自分の姿を鏡に映して見るべきでしょう。
 
 
 
 
 
私もいろいろな人と接していますが、コミュニケーション能力の「ない」人などいません。
「ない」とみなされていたり、「ない」ことを自覚しているという人も数多くいますが、
本当に「ない」わけではなく、方法が他人とは少し違うだけで、しっかりと自分を持っていて、
むしろ積極的に伝えようとするし、私の話もきちんと受け止めることができています。
 
 
広汎性発達障害(自閉症)の人について「コミュニケーション能力がない」と
言われることがときどきありますが、決して「ない」わけではない、と付け加えておきます。
その伝達手段がきわめて特殊で、健常者には理解の難しいものがあるため、
社会通念上「コミュニケーション能力がない」とか「コミュニケーションを取ろうとしない」
認識されているのです。
 
むしろ「読み取る側の問題であると考えるほうが妥当である」、と、
当事者の一人である私は考えています。
 
暗号の「鍵」を持っている人は暗号文を解読することができますが、
鍵を持っていない人にはできないということです。


 
一人一人を見ることがとても大切で、「最近の若者」などとまとめてはいけないのです。

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